”工場萌え”のテラリウム 路上配管観察の世界

路上観察

 路上観察者は、路上で見かける様々なものを観察し、収集する。観察の対象は、マンホール、トマソン、看板、張り紙、信号機、室外機など、観察者によって様々である。マンホールやトマソンなどは今や路上観察の代名詞といえるほどで、多くの観察者が目にとめる対象物だろう。しかしそんななか私は、まだまだニッチだが収集しがいのある観察対象として、街中でみられる排気管、パイプなどの配管を推したい。ここでいうパイプや排気管というのは、例えばこちらの写真のようなものだ。


 こういった排気管や煙突、雨どいなど(以降はまとめて配管と呼ぶことにする)は、ビルなどの建築に必要とされるパーツである。しかし、景観上あまり好ましいものではないため、建物の前面に堂々と付いていることは稀であり、たいてい建物の裏側のなるべく目立たない場所に追いやられている。大通りに面するファサードは立派な建物でも、裏側にまわると薄汚れた壁に機能上だけの窓やら、室外機やら、排気口や配管といったものが無骨に並べられているなんていう光景をみたことがあるはずである。配管はまさにそういった、ハリボテ、、、、の裏側に位置するものであり、配管工事の業者は別として、多くの人はわざわざ気を止めたりはしないだろう。

 しかし、この日陰者にスポットライトを当てて、丁寧に収集・観察していくと、なかなか奥深い世界が広がっていることが分かってくる。

路上配管観察の世界へ

 私が(主に仙台市で)収集した配管をいくつか紹介してみたい。(なお、古いスマホで撮ったために画質の悪いものがあるが、ご了承願いたい)
 観察を始めてまず気が付くのは、形や大きさの多様性だ。一口に配管、排気管といっても、建物の形状に合わせて実に多種多様なものがあることが分かってくる。

 こちらは、まっすぐと屋上に向かっている直線タイプ。建物の一階分から、6階相当の屋上まで貫いている。改めて見ると、スケールの大きい巨大な建物のパーツであることがよく分かる。一度注目するようになると、こんなに大きいにも関わらず、普段注意を向けていなかったのかと驚きさえする。

こちらの排気管は、小規模だがぐにゃりとS字型に曲がっている。このような曲線のパーツも見ていて楽しい。

こちらは、杖型の排気管がアパートに側面に二つ並んでいる。

大小二つの排気管がくっついて並んでいるもの。なんだか親子のように見えて可愛らしく感じてくる。

シルバーの排気管が一般的だが、なかにはこのように金属が錆びて趣のある色合いになっている場合もある。

これまでの写真は主に排気管・廃棄ダクトであったが、小さな雨どいなども同様の面白さがある。

例えば、このような雨どいが小さく曲がっている部分なんかは、出くわすと思わず足を止めてしまう。

こちらは室内のパイプが、天井のかたちに合わせてぐにゃぐにゃと曲がっているものだが、こういった一角にもやはり面白さを感じる。

さらに、こうした配管がいくつも組み合わさっている場合、バリエーションはさらに豊かなものになる。

こちらはポンプ場の裏手だが、すべてバラバラな形の排気管が複数並んで立っている。形もロボットのように見えて面白い。

同じ形の配管がずらりと並ぶパターン。こちらもまた壮観だ。

横向きの廃棄パイプ群。巨大な手が建物を掴んでいるようにも見えて迫力がある。

煙突や排気管の場合、先端の形に着目してみるのも面白い。

こちらは先端だけ膨らんだパターン。

このような先端がH型のタイプの煙突は、古い個人宅などで時々見かけ、レトロな趣を感じさせる。ちなみに、H型は主に薪ストーブに使われ、風や雨の影響を受けにくいための形状らしい。

このように、町中の配管というのは、それぞれが唯一無二の形を持っている。
ロボットのようなもの、親子のような2つのもの、何かに喩えたくなるような、親しみを感じられる形のものも多かった。実際に、配管をひたすら観察していると、生き物のように可愛らしく(あるいは気持ち悪く)見えてくることがよくある。

路上観察とシュールレアリスムの繋がりは赤瀬川源平が指摘しているが、事実、町に溶け込んでいるときには何の不思議もない配管も、それ自体だけを取り出すとュールな光景が現れる。自然発生的に現れたオブジェといってもいいかもしれない。このように、実用のために存在するパーツを、意図せずアートに変貌させてしまうことが、路上観察者特有のものの見方といえるだろう。

●路上配管観察のルーツは何か

観察を続けていくほど、町中の配管には、不思議な魅力、特有の美しさがあることが分かってくる。   
しかし、その美しさはどこから来るものなのだろう。

配管の美学を考えるとき、その根底で通じているのは、工場の美しさではないかと私は思っている。少なくとも私の場合、配管に興味を持つようになる前の段階で、まず工場の美しさに魅せられていた時期があったのは確かだ。

インスタグラムなどで、#工場夜景などと検索すれば、多くのきらびやかな写真が投稿されているように、昭和の公害で一度はマイナスのイメージとなった工場も、今では「工場萌え」という言葉も普及するほど、その美しさが注目されるようになって久しい。夜の沿岸に煌々と明かりを輝かせる工場群はいうに及ばないが、明かりのない日中に見ても、工場のパイプが複雑に絡まった様子は見ていて飽きないものだ。

↑奥多摩のセメント工場(著者撮影)

こうした「工場的なもの」を無意識に求めながら街を歩いているうちに出会ったのが、これまで紹介してきたような配管だった。

ビルや家屋の目立たない一角にある、金属のパイプの塊。体裁のデザインではなく、純粋に機能だけを考えて設計されたメカニカルな機構。そういったものは、工場の一部を切り取ってきたような、いわば「ミニチュア工場」のように見えてくる。逆に、こうした配管が徐々に増殖していき、町中がスチームパンク世界さながらに巨大な工場と化すのではないか、などとと妄想したりもする。

別の言い方をすれば、工業地帯の大工場群を兼六園や偕楽園のような大庭園とすれば、街の配管は盆栽やテラリウムのようなもの、ともいえるかもしれない。工場は配管の巨大な集合全体に圧倒されてしまうが、街中の配管は細部にじっくりと向き合うことになる。つまりは、工場的な、メカニカルな美のミニマルな要素をまさしく盆栽のように愛でるという楽しみ方だ。どちらも通底する、しかしそれぞれに違った面白さがある。

 場、そしてそれに限らず、例えば軍艦の艦橋や九龍城の景観などにも近しいものを感じるが、複雑で機能的な美しさ、メカニカルな美が好きな方は一定数いるだろう。そういった人たちにとって、町中の配管は格好な収集対象だと思う。

もちろん、今まで書いてきたのは、私個人の楽しみ方だ。各自で楽しみ方はそれぞれだろう。
しかし、一度この記事で紹介した路上配管観察の世界に触れると、次に散歩するときには、いままで目に付かなかった配管に目が行くようになることと思う。路上観察をしたことのない方は、ここから興味をもって入っていただければ嬉しい。すでに何か収集物を決めて歩いている路上観察者の方にも、あらたな視点を与えられれば幸いである。

また、路上配管観察のコレクションがまた溜まったら記事にしたいと思う。ぜひ、楽しみにお待ちいただければと思う。

本や写真、古い建物が好き。本は特にひと昔前の推理小説が好みで、大学時代は推理研の部長をやっていました。詩歌も好きで、自分で作って投稿したりしてます。
非日常を感じさせてくれる変わったものなど、気に入ったことを書きとめていきます。

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