先日仕事の出張で初めて訪れた岐阜で、気になる場所を見つけた。
岐阜駅は、JRの岐阜駅と名鉄岐阜駅がごく近い距離にある。名鉄岐阜駅の大通りは、脇に新しいお店が並び栄えている一方で、JR岐阜駅前のほうはややさびれていて寂しい印象だった。駅前には歩道に屋根がついてお店の並ぶメイン通りはあり、その奥には繁華街もあるのだが、メイン通りはシャッターの降りたお店もちらほらあり、建物自体も年季が入って昭和レトロな感じである。
JR岐阜駅の近くで夕食をとった後、ちかくをぶらぶらと散歩していると、ややさびれたメイン通りの裏手に存在感のある看板が目に入ってきた。

「中問屋町」と、レトロなゴシック体で書かれた看板。ビルとビルの隙間の奥に、異世界じみた怪しい通路が続いている。
おそるおそる中を覗いてみると、ひっそりとした廃墟のような空間が広がっていた。


通路が狭くごちゃごちゃしているので、九龍城のような雰囲気も感じる。
10分近く撮影していたと思うが、その間通り人もおらず、とおりの外とはまったく違った時間の流れているような、不思議な感覚のする場所だった。
もう少し探索してみたい気持ちもあったが、奥まで歩いていく勇気が持てず、一度引き返して中問屋町のアーケードに隣接する裏路地を平行に歩いてみた。中問屋町アーケードから横に伸びる枝道とつながっており、そこからのぞいた様子だと「中問屋町」はだいたい100mくらい続く短い通りのようだった。
さらに路地を行くと、中問屋町の向かいにも広いアーケード商店街が広がっているが分かった。

先ほどの中問屋町のアーケードと比べると、まだ親近感があるが、こちらも古そうなアーケードだ。 多くのお店のシャッターは閉まっているが、アジア料理店などいくつかのお店には明かりがついており、商店街の規模もそこそこ大きいようである。
夜の商店街のひっそりとした空気感は魅力的だったが、少しスリリングでもあった。
次からの写真は、岐阜から帰る日の朝に見てきた日中の様子である。

中問屋町入口の様子。日中でもやはりアヤシイ。

こちらが中をのぞいた様子。入口からくねりと曲がった通路が面白い。
朝8時頃でもやはりシャッターが目立つ。お昼の時間には行けなかったので、営業時間外なのかそもそも営業していないのかはわからなかった。

そして面白いのが、この天井の手作り感のあふれる透明なトタン屋根。アナーキーな建築で惹かれる。

看板が密集した感じがいい。


こちらは通路の分かれ道。
あとで解説するが、繊維街として栄えた町なので繊維関連の看板が目立つ。
天井が面白くて天井の写真ばかり撮ってしまった。

こちらは枝道の出口

表の建物も古くて趣がある。もともと建物が密集していたところを、解体して駐車場になったのだろう。隣にあった建物の影が残り、いわゆる影タイプのトマソンが現れていた。


こちらは向かいの商店街の看板。こちらもレトロで風情がある。

岐阜駅前の中問屋町は、戦後に満州から引き揚げてきた人たちが作った古着などの闇市が発祥であり、満州の地名から「ハルピン街」と呼ばれていたという。昭和30年代に最盛期となり、1600を超える衣類の製造卸業者が軒を連ねていた。12
その際に増築を繰り返したことにより、道の曲がりくねった複雑な構造をもつ、九龍要塞のような雰囲気のアーケードとなったようである。
そうした戦後復興期の様子を残した貴重な区画なのだが、今年(2025年)からの工事で、問屋街の一部区画が取り壊されることになっている(今回の訪問は2025年9月)。開発範囲の地図を見る限り、今回メインで紹介した中問屋町のアーケードも壊される範囲に含まれるようである。3
偶然見つけた場所だったが、取り壊される前に見られてラッキーだった。この記録も、取り壊される以前の貴重な写真となるだろう。
●おまけ
岐阜駅の前にあった廃墟。仙台の駅前にもさくらの百貨店の廃墟があるが、似たような感じである。ただし、デパートではなくホテルが入っていた建物らしい。こちらも再開発で壊されるようなので、みられるのは今だけである。

- CBC magazine「なぜ歪な形に?闇市から栄えた岐阜の「繊維問屋街」 ジグザグ道に隠された秘密とは」 ↩︎
- 朝日新聞「岐阜駅前の「繊維問屋街」 歩いて学ぶ盛衰 研究者が市民とツアー」 ↩︎
- SATION WEST 「JR岐阜駅前再開発計画」 ↩︎

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