【福岡県】志免鉱業所竪坑櫓 町中に聳える近代化のシンボル、現存する国内唯一のワインディングタワー

廃墟

 今回紹介する福岡県の「志免しめ鉱業所竪坑櫓たてこうやぐら」は、廃墟マニアや、産業遺産好きの間では有名なスポットで、廃墟に興味を持ち始めた頃から、いつか訪れたいとGoogle mapに保存していた場所だった。
 そんななか、先日仕事で九州に出張があり、週末に福岡を観光する機会ができたので、念願の地へ訪れることにした。

●博多からバスで志免町へ

 志免鉱業所竪坑櫓は、福岡県糟屋群志免町にある、炭坑の遺構建築である。志免鉱業所は戦前に旧海軍が開鉱し、戦後は国鉄所有の鉱山として1964(昭和39)年まで石炭の採掘を行っていた。竪坑櫓は炭鉱夫たちを坑道までおろす昇降機が入っていた建物で、ワインディングタワー式という、日本で現存する唯一の構造をもつ貴重な遺産である。炭鉱の歴史や、建物の構造についてはあとで詳しく紹介したいと思う。

 志免町は福岡市の東に隣接する町で、いまでは福岡市のベッドタウンとして住宅地が広がっている。
 今回は博多駅のバスロータリーからバスで向かったが、観光客らしき乗客は私くらいで、ほかは地元民らしき人ばかりだった。

 福岡駅のバスターミナル。この14番乗り場から志免方面へ向かう。

 バスに30分ほど揺られ、下志免という住宅地の中の停留場で降りると、早速目的の建物が目に飛び込んできた。

 住宅街の間に、異様な造形の建物が突き出している。この存在感のある建物が、目的としていた志免鉱業所竪坑櫓だ。

 さすが炭鉱があっただけあって古い町なのか、歴史のありそうな住宅の並ぶ路地を抜けて、竪坑櫓のほうへ進んでいく。

 住宅街の路地の間から見える竪坑櫓。近づくほど、その存在感に圧倒される。

 目の前の竪坑櫓に向かって歩き続け、ふもと近くまでやってきた。竪坑櫓の周り一帯は、グラウンドや遊具のある公園として今は整備されている。
 公園へ至る坂道を上っていくと、開けた空間の真ん中にそびえたつ竪坑櫓が目に入ってきた。

 高さ約50m、10階建ての巨大なコンクリート造りの構造物。その無骨で、無駄を切り落とした直線的な外観は、圧巻の存在感を放っている。
 5階部分までは柱だけで構成され、その上部は壁でおおわれている。まるで空中に浮かぶ要塞のようだ。ちなみに、このデザインから、海外のネットではゾンビが発生した時の対ゾンビ要塞に最適だということで話題になっていたらしい。

 ハンマーコップ型と呼ばれる、この先端部が飛び出したかなづちのような形が特徴的だ。この幾何学的な単純さと、構造の奇抜さが共存するデザインがたまらない。

 こちらが、設計上の正面。一階部分に入口が開いている。

 反対側にも小さな箱状の部屋が飛び出している。

 竪坑櫓はグラウンドの中に立っているが、この敷地には志免町総合福祉施設「シーメイト」という施設が建っている。その施設内には、模型や往時の写真などの志免鉱業所関連の展示がされていた。

 こちらは「シーメイト」に展示されていた、レゴブロックで再現された竪坑櫓。もともと角ばったデザインなので再現しやすそうだ。

志免町炭鉱の歴史、旧海軍の時代

 ここで志免炭鉱の歴史と、この竪坑櫓がどのような建築物なのか、解説したい。
 なお、この旧志免鉱業所竪坑櫓には、公式ホームページがあり、解説が詳しいのでそちらもご覧いただければと思う。また、次のような紹介ムービーも作られていてこれも参考になる。

 福岡県と言えば、筑豊炭田などの巨大な炭田で有名だが、筑豊炭田の西部の位置する志免町の一帯も、石炭を含む古第三期の地層が分布し、糟屋炭田とよばれている。古くは江戸時代中期の宝暦年間(1751~1764年)にも採掘の記録はあるようだが、志免鉱業所としては、1889年に海軍が新原採炭所として炭鉱を開いたことに始まる。当時海軍は艦隊の燃料である石炭確保のために炭坑の開発を行っており、良質な石炭を産するこの地に目をつけられたのだ。当初、第一坑、第二坑が開かれたのは志免に隣接する須恵すえ町であったが、1905年に志免町に第五坑が開坑し、志免での採鉱が始まった。その後も鉱山の開発は進み、志免町には第七坑、第八坑が作られ、やがて採鉱の中心は志免町へと移っていった。

当時採掘されていた石炭
第五坑坑口

 公園内に残されている第五坑西側。ここからベルトコンベヤーで、坑内の石炭を運び出し、選炭場まで送っていた。

 竪坑櫓が着工されたのは1941年(昭和16年)、地上部の竪坑は1943年(昭和18年)に完成した。地下の竪坑の掘削が完了したのは、1945年(昭和20年)のことだった。 
 竪坑櫓というのは、竪坑、つまりは地下の坑道に向けて垂直に掘り下げていった穴の上に建てられ、石炭や人員を引き上げるための昇降機が置かれた施設である。地下から人や石炭を引き上げる巨大なエレベーターの機械部といえばわかりやすいかもしれない。竪坑櫓自体は9階建てで高さが47.6mだが、地下にはその約9倍にあたる430mの深さまで竪坑が続いていた。石炭を安定して大量に採掘するために、浅部の石炭だけでなく深部の石炭層まで採掘が行われていたのだ。

現地の案内板に載っていた地下構造の略図。

全盛期を迎えた国鉄時代

 1945年(昭和20年)に太平洋戦争が終結すると、志免鉱業所の管轄は内務省、大蔵省と移ったのち、最終的には運輸省へと移管する。国鉄が発足し、運輸省から鉄道事業が引き継がれるのは1949年(昭和24年)のことだが、戦後は長らく国鉄直轄の炭鉱として蒸気機関車の燃料を供給していた。最盛期には従業員6千人、年間50万トンの出炭量があったという。

 志免鉱業所から採掘した石炭を運ぶ路線としては、1904年(明治37年)に福岡市の西戸崎駅から宇美町の宇美駅が開通し、1909年(明治42年)に志免駅まで延伸された香椎かしい線(の支線)と、1919年(大正8年)に開通した、福岡市博多区の吉塚駅と宇美町の筑前勝田駅を結ぶ勝田かった線があった。旅客用としても使われ地域の交通も担っていた勝田線は、1985年(昭和60年)に全線が廃線してしまう。
 現在勝田線の跡地の一部は、緑道として整備されており、志免鉱業所の南側に位置した志免駅は、廃駅となったあと「志免鉄道記念公園」として整備されている。

                         志免鉄道公園

 公園内には当時のホームと線路の一部が残されれている。

 当時使われていた、レールを切り替える転てつ器のレバーも残されていた。

 公園内に展示されていた、勝田線ディーゼル列車。

1926年(大正15年)測図の地図「今昔マップ on the web」より

 こちらは1926年(大正15年)の地図。中央に見える「海軍炭坑」と書かれた場所が志免鉱業所。南側の路線が勝田線で、「しんしめ」(新志免)という駅名の記載も見られる。
 北側を東西方向に走る路線が香椎線であり、そこから炭坑に伸びて生きているのがその香椎線の支線で旅石支線と呼ばれていた。

1952年(昭和27年)発行の地図 「今昔マップ on the web」より

 こちらは1952年(昭和27年)の地図。「志免鉱業所」という名前で記されている。鉱業所内や付近に宿舎と思われる建物が増えており、戦前と比べ栄えていることがうかがえる。

1972年(昭和47年)の地図 「今昔マップ on the web」より

 石炭から石油へのエネルギー革命で、石炭の需要が減少し、志免鉱業所が廃坑となったのは、1964年(昭和39年)のことだった。上掲の地図は1972年のもので、すでに「志免鉱業所」の文字は消えている。ただ、勝田線の廃線は1985年(昭和60年)なので、鉄道路線はまだ残っている。志免駅は1954年にやや北側に移転しており、そちらのほうの跡地が現在の「志免鉄道記念公園」にあたっている。

現存する国内唯一のワインディングタワーとその機構

 志免鉱業所の竪坑櫓は、塔櫓巻型とうやぐらまきがた、またはワインディングタワーと呼ばれる、竪坑の上に垂直に立てた建物の上部に、昇降機のモーターを乗せる形になっている。これらは櫓の中でも最も発達した形と、HPでは紹介されている。
 発達した形とはどういうことか。例えば志免のものより少し時代的に前に作られた、1909年(明治42年)竣工の三池炭鉱万田坑の竪坑櫓と比べてみると、こちらは竪坑櫓と、坑道におろしたケージ(エレベーターのかごの部分)を巻き上げる巻揚機が入った建物は別々であることが分かる。

三井石炭鉱業株式会社三池炭鉱旧万田坑施設 文化庁 国指定文化財等データベースより引用

 こちらが現在も残っている熊本県三池炭鉱万田坑の竪坑櫓の写真だが、奥に見える鉄塔が竪坑の真上に建つ竪坑櫓、手前のレンガぐくりの建物が巻揚機が入った建物である。竪坑櫓の上部には滑車が付いており、ここでワイヤーの方向を変えて、巻き上げに向けて引き上げるという形になっている。巻き上げ機はドラム式といって、釣り竿のリールのように、回転する巨大なドラムでワイヤーを巻き上げるという仕組みになっていた。ちなみに映画「天空の城ラピュタ」の冒頭で、パズーが操作する炭鉱の昇降機もこの形式なので、あれを思い出してもらえば分かりやすいと思う。

 一方で上に断面図を示した志免鉱業所竪坑櫓では、櫓自体に巻揚機が組み込まれ、ケージを直接真上に引き上げる形をとっている。ハンマーのような独特な形は、上部の壁のついた部分に巻き上げ機を収納するための設計であった。この構造では巻揚機室として別の建物を作らなくてよい分、狭い土地を有効に生かせるという利点がある。加えて、ワインディングタワーでははワイヤーを巻き取るドラム式ではなく、ケーペ式捲揚機という機構が使われていた。これは、ワイヤーを巻き取ってケージを上下させるのではなく、下の模式図のように、輪の形になったワイヤーを摩擦で動かして上下させる方式である(先に載せた動画のアニメーションが分かりやすい)。この方式により、430mという深部からの引き上げをより効率よく実現することができた。また、モーター自体も、1000馬力の強力なものが使われていた。

ケーペ式捲揚機の模式図 wikipedia 「ケーペ式捲揚機」(ドイツ語ページ)より
旧志免鉱業所竪坑櫓に搭載されていた1000馬力の巻き上げ機と滑車 公式HPより

 ワインディングタワー自体は20世後半にドイツで開発されたものだった。設計者の猪俣昇いのまたのぼるはドイツに視察した際、当時の最先端であるこのワインディングタワー(特に先端が膨らんだかたちはハンマーコップ型と呼ばれる)を目にし、志免の竪坑櫓の設計に取り入れた。


 ワインディングタワー型の竪坑は、日本では戦前にはこの志免町のものと、熊本県荒尾市の三池炭鉱四山竪坑(1920年)、また戦後には櫓全体が壁で覆われた後期のタイプのものとして、長崎県北松浦郡福島町の福島第一立坑(1965年)、および北海道苫前郡羽幌町の羽幌運搬立坑(1965)の計4棟が建設された。しかし三池炭鉱四山竪坑と福島第一立坑はすでに解体されてしまったため、国内に残るワインディングタワーとしては二つのうち一つ、戦前の初期のタイプ(ハンマーコップ型)のものとしては唯一の建造物となっている。また、戦前の高層建築物で、純鉄筋コンクリート造りのものも珍しい。
 そればかりか、戦前の初期の対応のワインディングタワーは、世界中でもこの旧志免鉱業所竪坑櫓の他には世界中でもベルギーのブレニー炭坑竪坑櫓、中国の撫順炭鉱竪坑櫓だけだという。世界でも大変貴重な建造物であるということが分かる。

ベルギーのブレニーと、中国撫順の竪坑櫓。 志免町「重要文化財 旧志免鉱業所竪坑櫓保存活用計画 改訂版」より

 そうした近代建設技術史上での価値の高さから、志免鉱業所竪坑櫓は2009年(平成21年)に文部科学省により国の重要文化財に指定された。さらには経済産業省の近代化産業遺産に認定、文化庁の近代化遺産にもされている。

 こうした貴重な建築物が解体されずに、こうして誰でも見学できる形で残ったことは素晴らしいことだと思う。壊されたり、放置されたりする土木遺産もあるなか、本櫓は整備され町のシンボルとして愛され、こうして堂々と観光できることが嬉しい(といってもまだまだ一部のマニア以外の知名度は低いのかもしれないが)。

●町のシンボルとして

 志免鉱業所竪坑櫓の、日本の近代化を体現するような重厚で機能的なデザインは見るたびに、愛着がわいてくる。

 住宅街の中に聳えるさまは非常に存在感を放っていたこのコンクリート造りの櫓は、今では志免町のシンボルとして親しまれている。

 公園の施設内には、このような竪坑櫓をあしらった特別デザインのマンホールがあった。シルエットで描いたときにも映えるデザインだなと思う。

 志免鉱業所竪坑櫓は、九州各地を舞台にしたノスタルジックな映像と詩的なナレーションで一部で人気の高い(というか自分自身がファンなのだが)、大分麦麦焼酎のCMの舞台になったことがある。竪坑櫓が出てきたのは、2002年に放送された「父」篇。「私の記憶に、いつも後姿で現れる人がいる」「私の知らない父と、父の知らない私が、坂の途中ですれ違う」という、短い文で父の本質に迫った詩の冴える、個人的にもかなり好きな映像だ。

 せっかくなので、CMと同じ画角を現地で探してみた。角度的に、行きにたどってきた道がそのあたりになるだろうと、画像と見比べながら探してみると、それっぽい場所を見つけることができた。志免中央2丁目と、志免1丁目の境の道路だった。

大分麦焼酎二階堂CM 「父」篇2002 より
CMと同じ場所で撮影

 道路沿いの家などは変わっていっても、竪坑櫓はCM撮影時と変わらぬ姿で佇んでいる。戦前、軍艦の燃料として海軍が採掘を行っていた時代も、国鉄の手に渡り、日本の鉄道輸送を支えていた全盛期も、同じようにこの櫓は町を見下ろしてきたのだろう。志免鉱業所が支えてきた日本の近代化を偲ばれる。 

 現地に訪れたことで一層愛着の湧いた竪坑櫓に名残惜しい気持ちを覚えながらの帰路となった。 

参考関連サイト・文献

志免町役場社会教育課 旧志免鉱業所竪坑櫓公式HP

志免町HP 旧志免鉱業所竪坑櫓

志免町HP 志免鉄道記念公園

志免町(2023)「重要文化財 旧志免鉱業所竪坑櫓保存活用計画 改訂版」

徳永博文(2020)「九州のコンクリート構造物 旧志免鉱業所竪坑櫓」,コンクリート工学,58(3)

「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)

文化庁 国指定文化財等データベース「三井石炭鉱業株式会社三池炭鉱旧万田坑施設」

奥村加代子「旧志免鉱業所竪坑櫓について」京都芸術大学卒業研究展

大分麦焼酎二階堂HP

Wikipedia 「志免鉱業所竪坑櫓」「志免鉱業所」「Treibscheibenförderung」「羽幌炭鉱」「勝田線」「香椎線」「旅石支線

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