佐々木幹郎『やわらかく、壊れる 都市の滅び方について』

読書

 詩人の佐々木幹郎みきろうが、都市についてつづったエッセイ集。関西の出身だった著者が見た東京の下町、かつて中野にあった東洋一の刑務所とその解体の様子について、関東大震災と阪神淡路大震災、ネパールの山岳地帯への旅行、湾岸戦争後に訪れたイランなど、各国の都市や建築にまつわるトピックが扱われている。

 副題に「都市の滅び方について」とあるように、本書を貫くテーマになっているが「廃墟」だ。収録されたエッセイは各々別の媒体に発表されたものなので、執筆時に「廃墟」という意識が念頭にあったものかは分からないが、まとめて読むと詩人が「廃墟」という視点から都市を見つめていることが分かってくる。

 例えば、「森の中の未来都市」と題され、アンコール遺跡について語った前書きのなかでは、アンコール遺跡は森の中で蔦に覆われて廃墟となっていたときのほうが、「かえって都市の姿を際立たせていたのではないか」と、佐々木幹朗は書いている。そして、自身が深夜の都市の片隅を写真に撮ってみたときに、どの建物も廃墟に見えたという経験から、わたしたちの都市と、アンコール遺跡が地続きだということを見出している。

 都市は生きものだ。人々が集まり、魑魅魍魎の巷を造り、目に見えない文化がその土地にしみ通る。人間が作ったものは滅びるが、その土地に沁みとおったものは、必ずいつか甦る。滅びの姿は同時に、甦りの姿だ。
 それがたとえ、植物の根の姿をとり、森の生物となって、都市を別の姿に変えていくことがあったとしても、都市は遥かな時間の推移の中で、もっとも雄弁に過ぎ去った時間とこれからの未来の時間を語るだろう。

 「都市は生き物」という大きな感覚、都市と廃墟が地続きであるという時間的に超越した感覚。私がその中で日々暮らしているときには忘れがちになるそうした都市の姿が、彼の観察にもとづく詩的な文章からたちあがってくる、そんな不思議な体験をさせてくれるエッセイ集だった。

 それぞれのトピックについても紹介したい。なかでも、廃墟について直接的に語られ印象深かった項目のひとつのが、東京中野にあった旧豊多摩刑務所の解体現場をみたときの話だ。 

「かつて日本に東洋一の監獄があった

 1983年(昭和58年)、著者は中野刑務所の解体が始まると、その解体現場に通った。8ミリカメラを回して記録し、帰るたびに詩を書いた。

 わたしはその建物の中で、もういなくなった人々の呼吸音ばかりを聞いていたような気がする。中野刑務所(旧豊多摩監獄)は、そのような建物だった。踏みしめる足音や、ささやき声。それらはすべて、瞬時に建物の隅々に広がった。まるで音の形に建物が造られているようだった。

 中野刑務所は、1915年(大正4年)に建てられたレンガ造りの監獄で、上からみたときに十字の形をした近代型の舎房を持っていた。十字舎房には、大杉栄、中野重治、林房雄などが思想犯として収監されていた。本来人を閉じ込めるために作られた建物が、解体され外の空間へと開かれる瞬間は不思議な感慨があったことだろうと思う。佐々木幹朗は、エッセイの中で上にあげた収監者たちが獄中につづった文章をたどっていくが、まさに解体の現場で彼らの声を感じとっている。

 解体工事の現場で、よく思った。
 過ぎ去ったものをもっともよく語るのは、人間だろか。
 いや、そうではない、という声が、どこからともなく聞こえてきた。
 人間が語るのではなく、彼を閉じ込めていた空間がもっともよく語る。しかも、その残されていた空間が壊され、地上から永遠に姿を消す寸前の、廃墟が。

 ちなみに中野刑務所は、今でもレンガ造りの正門だけ、中野区立平和の森公園のなかに残されている(現在は曳家による移設工事を行っている)。「実に可愛らしい、西洋の童話に出てきそうなレンガ造りの建物」と佐々木が表現する門で、もともと絵描きを志望していた設計者の後藤慶二の理想がにじみ出たものらしい(この建築家についての話もエッセイでは触れられている)。いつか訪ねてみたいと思う。

 ところで、このエッセイ集で使われている写真は、〈建築の黙示録〉の解体現場の写真や、九龍城塞の写真などで有名な写真家の宮本隆司が撮影したものが使われている。作中に宮本隆二についての言及はないものの、二人は交流があったらしく、宮本隆司の撮る写真のモチーフと、本エッセイで佐々木幹男の取り上げるモチーフは多くが共通している。そもそも写真と文芸と表現形態が違う二人だが、自らの暮らす文明の都市を鋭く見つめてきた二人の芸術家が、共通するモチーフをどう見つめているか比べながら読むのも面白いかもしれない。1

 その宮本隆司の写真がやはり使われている別のエッセイが、1995年の阪神淡路大震災の関するものだ。解体現場から、同じく建物が崩れる場としての震災の被災現場へと、テーマは移行していく。

「神戸1995

 関西出身の著者は、阪神淡路大震災の当時東京にいたが、その後被災後の神戸を訪れている。彼は、建物が崩れていった神戸の街の中で、公園や地に根を生やした樹木がいかに大切なのかに気が付く。公園は避難基地となり、遊具がテントを張るのに役立つ。樹木は家や電柱が倒れるのを防いでくれていた。

 重要なのは、建物はいつかは必ず倒れる、ということ。それならば、いかに被害を少なくして倒れるか、ということが、未来の建物の設計思想となりうるはずだ。
 (中略)
 建物も都市も、いかに、やわらかく壊れることができるか。
 阪神淡路大震災が教えてくれた教訓は、このことに限る。

 都市が脆弱であることをはじめから考慮にいれて、「やわらかく、壊れる」ことが防災のための設計思想という指摘は(当時すでに言われてきたことなのかもしれないが)卓見だったと思う。実際に、阪神淡路大震災のあとから国道交通省がガイドラインを示し、全国で防災機能を持つ公園(防災公園)が整備されていった。2 このような、建物はいつか崩れるもの(都市はいつか滅びるもの)という、広い視点がにった見方も、「廃墟」から都市をみる視点といえるかもしれない。

 解体現場、被災地とみてきたが、このエッセイ集の冒頭にある、佐々木幹男が東京の下町にやってきた際の、東京に関する文章も面白い(「都市の声、都市の耳」と題されたパート)。彼の書く東京の姿とう都市の姿が、個人的には一番心に残った部分だった。

都市の声、都市の耳

 都市にはそれぞれ異なった声がある。そのことに気が付いたのは、東京の下町に澄みだしたころからだ。  

 お祭りの時期が近づくと、遠くから葛西囃子の太鼓や笛が聞こえてくる、そんな東京の隅田川左岸の下町の文化が、路地に住む野良猫たちや、隅田川にかかる橋、かつてこの地に暮らした松尾芭蕉などを通して語られていく。ここで語られる東京の姿は、知っているようでありながら、江戸・東京という都市の不思議な姿が浮かび上がってくる。
 例えばそこで描かれるのは、巨大なウォーターフロント構想としての下町の姿だ。江戸前ということばがあるように、当時江戸城の前は東京湾から隅田川と通じて海と通じており、海と水路を中心とした街だった。
 またはそこで描かれるのは、濃厚なアジアの香りの都市としての東京、そしてふらふらと浮遊して生きるのにふさわしい町としての東京だ。

 浮遊して生きるという点に関しては、こんな興味深い記述がある。佐々木幹男は、隅田川の護岸に作られたホームレスのダンボールの家について興味を持ったと書いており、次のように言っている。

 東京生まれで、代々土地を持っている人はともかく、地方出身者が東京に住むときの原型が、彼らダンボールの家なのではないか、と思う時がある。
 永久に土地を持たず、移動可能のテント生活を送る。これまでアパートからアパートへ、引っ越しばかりを繰り返してきたわたしの生活感覚から言えば、そういう根無し草の浮遊感覚が、現在の東京という街に住むのにふさわしいように思う。 

 まさに住むことの原始的な形態、居住ののプリミナルな形といえるホームレスの家を、浮遊感覚の象徴としてみている。ダンボールの家といえば、写真家の宮本隆二が被写体に扱ったモチーフでもあるが、宮本の写真がダンボールハウスと巨大なビルとの対比のなかで鋭い都市批評的なメッセージを発しているようにみえるのに対して、佐々木幹男はここでダンボールハウスを浮遊生活者という観点から、江戸・東京がもつ精神性を宿したものとしてみているのが面白い。

 佐々木幹男自身も、ノマド的な生き方の詩人であり、この一連の東京を描いたエッセイからも、ノマドの気楽さと独自の孤独感と浮遊感が漂っている。そうした作風だからこそ、過度なドラマ性によりかかることなく、江戸・東京という町の独自の空気感を写し取ることができたのだろう。

  1. そもそも本書を知ったのは、2004年に世田谷美術館で行われた宮本隆司の写真展の図録の中でだった。表紙になっているアンコール遺跡の写真も含め、本書の写真はすべて宮本隆司の写真が使われている。 ↩︎
  2. 国土交通省 「防災公園の計画・設計に関するガイドライン(案)(平成 27 年 9 月改訂版)」 ↩︎

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