近況、ポール・オースターとの出会い
昨年2025年は就職して社会人になったことで生活が変化し、本を読む時間が減ってしまった。新刊などもまったく情報を追えていないので、好きだったミステリ分野さえ最近の動向が分からず、読書の界隈から遠のいたという印象が強い一年だった。
振り返ると、そんな読書生活を送ってきた一年だったが、それでも昨年はポール・オースターに出会ったことは大きな収穫だったと思う。本屋でたまたま手に取って『ガラスの街』のタイトルとあらすじに惹かれたことが読み始めたきっかけだったが、『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』の〈ニューヨーク三部作〉、それから『ムーンパレス』を、仕事の研修や出張の合間に少しづつ読みすすめた。特に〈ニューヨーク三部作〉は読みやすい文書でありながらも内容は哲学的で、ひとつひとつの言葉の深さ、そして何より文体・語り口のかっこよさに魅了されてしまった。探偵役の人物がひとつの謎を折っていくという、探偵小説の形式をとりながら、肝心の謎の解決を宙づりにしたまま、アイデンティティや書くことについて問題といった大きな哲学的なテーマへと拡張されていく、不条理で予想の着かないプロットと語りが知的にスリリングで、特に『ガラスの街』を読んだときは、『ドグラ・マグラ』を読んだときと同じレベルの衝撃だった。
そして、昨年の11月に読み終えた『ムーンパレス』(柴田元幸訳)。本書は、〈ニューヨーク三部作〉のような前衛的なプロットというわけではなく、比較的とっつきやすい青春小説であるが、こちらも深い内容でとても心に残る小説だった。なので感想をまとめておきたいと思ってはいたのだが、仕事の繁忙期と重なり後回しにしているうちに、もはや読了後の新鮮な印象や細部の記憶が薄れてるほどに時間が流れてしまったいた。それでも折に触れて思い出すほど強く印象に残っているシーンがいくつもあるので、自分の好きなシーンについてだけでも文章に残しておこうと思う。具体的には、本作で語られる、人生の通過儀礼について、創作の孤独について、それからモチーフとなる月についての印象的なシーンについて、語ってみたい。
『ムーンパレス』の名書き出し
まず、作者のポール・オースターについて簡単に紹介しておきたい。オースターは1947年アメリカ、ニュージャージー州生まれ。ニューヨークのコロンビア大学を卒業後、メキシコで石油タンカーの乗組員をしたり、フランスで様々な職に就いたりと各国を放浪する(この経験をもとにしたような描写が『鍵のかかった部屋』にある)。70年代に詩や評論、翻訳を精力的に行った後、1980年代に〈ニューヨーク三部作〉を発表し、アメリカ現代文学の旗手として注目を浴びる(といっても、発表後すぐの反響は限定的だった)。1989年に『ムーンパレス』、1990年に『偶然の音楽』などの作品を次々発表。2年前の2024年に死去するまで、精力的に執筆を行った。
オースターの文章は、短い文を重ねていく、リズムのよい透明感のある文体が特徴的だ。その文体のもつ瀟洒さは、小説の書き出しにもよく現れている。例えば、『ガラスの街』は、「そもそものはじまりは間違い電話だった」という一文から始まる。『幽霊たち』は「まずははじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる」、『鍵のかかった部屋』は「いまにして思えばいつもファンショーがそこにいたような気がする」と始まる。やや唐突な感じのする短い一文でありながら、物語へと引き込む強さとスピード感のある文章で、一度読み始めると、ぐいぐい次の文章へと引き込まれて行ってしまう。
私は小説の書き出しは物語の方向と初速度を与えるものだと思っているので、このような遠くまで運んでくれそうな初速度の大きい書き出しに出会うとわくわくする。その点、『ムーンパレス』の書き出しも非常に印象的だ。書き出し自体があらすじの簡単な紹介にもなっているし、作品の雰囲気を伝えることにもなるだろうから、まずは『ムーンパレス』の書き出しの部分を、少し長めに引用してみたい。
それは人類がはじめて月を歩いた夏だった。そのころ僕はまだひどく若かったが、未来というものが自分にあると思えなかった。僕は危険な生き方をしてみたかった。とことん行けるところまで自分を追いつめていって、行きついた先で何が起きるか見てみたかった。結果的に、僕は破滅の一歩手前まで行った。持ち金は少しずつゼロに近づいて行った。アパートも追い出され、路頭で暮らすことになった。もしキティ・ウーという名の女の子がいなかったら、たぶん僕は餓死していただろう。その少し前にキティと出会ったのはほんの偶然からだったが、僕はやがてその偶然を一種の中継地点と考えるようになった。それを契機に、他人の心を通じて自分を救う道が開けたのだ、と。それがはじまりだった。そのあとは、いろいろな奇妙なことが僕の身に起きた。僕は車椅子の老人相手の仕事をはじめた。僕は自分の父親が誰なのか知った。僕はユタからカリフォルニアまでの砂漠を歩いた。もちろんそれは、もうずっと前のことだ。でも、あのころのことは忘れていない。それらの日々を、僕は自分の人生のはじまりとして記憶している。
「それは人類がはじめて月を歩いた夏だった」。この詩的な最初の一節は、当然タイトルの『ムーンパレス』と響きあう。「ムーンパレス」とは作中、大学生の主人公が下宿していたアパートから看板が見える、中華料理屋の名前である。実在したレストランの名前らしい。 作中、何度もいろいろなかたちで登場する月は、作品を貫くひとつのモチーフとなっている。このことについても、あとで詳しく触れたい。ここではあまり語らないが、「偶然」という言葉もオースターの小説で繰り返しあらあれるテーマである。後で述べるように、「砂漠」のモチーフにも私は注目したい。しかし何よりも、細かい内容以前に、引用した文章全体から感じられる、人生の決まり切らない若く痛々しい時期をノスタルジックに思い出しつつ肯定している、この瑞々しい感傷が、本書全体がまとうトーンだといってよいとも思う。
本作はマーコ・フォッグという、若者の一人称で語られる。僕は父を知らず、小さい頃に母をなくした僕(マーコ)にとって、伯父だけが唯一の血縁だった。成長した僕はニューヨークのアパートに間借りして、コロンビア大学の文学部に通う。まだ若く、未来というものを実感できない危うさのなかで生きている僕は、過剰な自意識にまみれた痛々しい青春を送る。作者のオースター自身もコロンビア大学の出身であり、このときのエピドートには、彼が実際に経験した大学生活の空気間が反映されていると思われる。
伯父が亡くなった知らせを受けた僕は、ショックから次第に自分の思索の世界に閉じこもるようになる。有り金が徐々に無くなっていくのにも逆らわず、家賃を払えずにアパートを追い出される。セントラルパークでホームレス同様の生活しながら、餓死寸前となった僕を救ったのは、友人のジンマーと、アパートを追い出される前に偶然入り込んだホームパーティーで出会ったキティー・ウーという女性だった。
ジンマーの家にしばらく身を寄せることになった僕は、体力が戻ると、今までの自分勝手な生き方を改めることを決意し、ある仕事に応募し働くことになる。それは、車椅子に乗ったエフィングという風変りな老人を世話をするというものだった。
物語の前半は、キティ・ウーと出会い助けられるまでの「僕」のエピソードが中心であり、中盤はこのエフィングの人生が中心の物語になる。そして、(この記事ではあまり言及できないが)終盤はさらに別の人物についての話になり、つまりは世代の異なる三人の登場人物が順に現れ、物語は進んでいく。いずれも読みごたえがあり、序盤のマーコが飢餓に陥り助けられる場面などは本作がひとつの山場だが、私がとりわけ印象に残ったのは、元画家の老人、エフィングが語る彼の人生のなかのエピソードだった。
テスラの視線 死のような絶望をくぐりぬけて自由を得る
車椅子の老人、エフィングの世話をすることになったマーコは、彼からエフィング自身の死亡記事を書く仕事を頼まれ、彼の人生を語るのを口述筆記することになる。エフィングは、マーコの言葉を引用すれば「相手をいつも宙ぶらりんの状態にしておくこと」ができる人物で、時に気難しくあるときはそうでなくなるという、捉えどころのない老人であった。そんな彼の要求に翻弄されつつも、最後にはエフィングは自分の人生を語り始める。
エフィングは、もともとジュリアン・バーバーという名の画家だった。画家である彼がどうして名前を捨て、車いすの身になとなり(彼は両足が麻痺していた)今に至るのか、彼の独白のなかで明かされていく。
マーコが餓死寸前にまで追い込まれて、友人に助けられたことから彼の人生が始まったように、エフィングの人生でも、疑似的な死を潜り抜けるというモチーフが繰り返される。実際、あとでみるようにエフィング自身も文字通りすべてを失うという経験をするのだが、それ以前に彼が経験した、小さな死を潜り抜けるという通過儀礼といえるようなエピソードについては特に印象深い。
エジソンを直流・交流論争で争っていたニコラ・テスラが、1893年のコロンビア万博で交流電流の実演をするのを、子供だったエフィングは目にしていた。変人であり偉大な発明家であった彼のことは当時の新聞に書きたてられ、エフィングはそうした記事を夢中で追っていた。エフィングが17歳の頃、彼の住む町に、テスラが、ウォーデンクリフ・タワーというラジオ放送塔の電波塔の建設にやってくる。「わが最大の偉人」が自分の町にやってきたことに興奮するエフィングは、ついに万博以来、町でテスラと邂逅する。しかし、その時起こったことは、彼の予期しないことだった。
あるとき、テスラと目があったことがあった。よく覚えているよ。ものすごく重要な瞬間だった。テスラと目が合って、わしは感じたんだ。相手がわしをつき抜けてその向こうを見ているのを。まるでわしなんか存在しないみたいに。信じがたい瞬間だった。テスラの視線がわしの目を貫いて、頭のうしろから出ていくのを感じたんだ。わしの脳味噌はジュージュー音を立てて焼け、燃え尽きて灰になった。生まれてはじめて、わしは自分がゼロだと悟った。俺はまったくのゼロなんだ、と。いや、別にそれで落胆したわけじゃない。はじめはとにかくただ呆然としていた。そしていったんそのショックが和らいでくると、今度は逆に元気が湧いてきた。まるで自分自身の死をくぐり抜けたみたいな気分だった。(中略)十七のわしは、そうやって突然、疑念のかけらもなしに、自分の人生が自分自身のものだと悟ったんだ。
我々はえてして、遠くから尊敬する人物や、あるいは恋慕する人(今でいうと「推し」などもそうかもしれない)が自分にとって重要な位置を占めているというだけで、その人と対等になったように錯覚してしまう。しかし当然ながら、その人物にとって自分などとるに足らない存在しでしかない。それを理解したエフィングは、自分の妄想の中で作られていた自己像が破壊され、「何者でもない自分」に向き合わざるをえなくなる。しかし、その経験こそが、彼を自分の人生へ歩ませてくれたという。
いいかフォッグ、これは自由についての話なんだ。あまりに大きな絶望、あまりに圧倒的で、すべてが崩れ落ちてしまうほどの絶望、そういうものを前にしたとき、人はそれによって解放されるしかないんだよ。(中略)テスラはわしに、わしの死を与えてくれたんだ。そしてその瞬間、わしは画家になるんだということを理解した。それこそがわしの求めているものだった。それまでは、そう認めるだけの度胸がなかったんだ。
これは単に、絶望や挫折が人を強くするといっただけの話ではない。圧倒的な絶望によって、彼が自分の死を疑似的に経験したということが重要なのだ。疑似的な死、ここでは、テスラの視線を通して見えた「ゼロの自分」まま死ぬかもしれないということを彼は理解し、「俺は永遠に生きられるわけじゃないんだ」と悟る。これはいうならば、ハイデガーが『存在と時間』で言っている「死への先駆」の概念にかなり近いかもしれない。つまり、死を先取りして理解することで、そこから翻って自分の有限な人生に主体性を持つことができる、ということだ。
もちろん現実では、エフィングと同じような経験をした誰もが、彼のように自分の歩むべき人生に忠実に生きられるとは限らないだろうが、しかし死を理解させるような大きな絶望が、自分の人生の自由を手にするきっかけをくれるということを、このシーンはテスラの視線という端的なビジョンと文章で教えてくれる。そんなとりわけ印象に残る場面だった。
砂漠で画家が直面した極限状態から考える、創作の意味
ポール・オースターの〈ニューヨーク三部作〉では、作家が文書を書くこと、またその孤独というテーマが繰り返し扱われていた(作家の自我や他者をめぐるやや哲学的なテーマで、実は私自身もまだ咀嚼しきれていない)。まだ未読なのだが、〈ニューヨーク三部作〉に先立つ『孤独の発明』でも、書くことの孤独がテーマになっているらしい。
そして、『ムーン・パレス』でもやはり、違った角度から創作について、創作の孤独についての考察に満ちた象徴的なくだりがある。
画家になったエフィングは、友人の画家に感化され、連れの若い男とともにガイドを雇ってて西部へと出かける。西部の荒野の果てしない自然を間に、彼は絵の制作を続ける。しかし、その道中ガイドとの関係が悪化し、ガイドに連れの男を殺されたうえ、エフィングも荒野に取り残されてしまう。それから数日間荒野をさまよったのち、彼は隠者の死体の残された洞穴を見つける。食料も残されており、そこで隠者になりかわり暮らすことで、彼は過去の自分を捨てて、食料の尽きる当分の間は生き延びるすべを見つける。荒野の洞穴での暮らしをはじめてから、2,3週間がたったあとの場面である。生き延びるのに精一杯だった彼は、ここにきて唐突に絵を描きたいという要求に襲われ、残された画材で絵を書き続ける。
第一に、描いた絵を誰にも見てもらえないだろうという事実がある。考えてみるまでもない話である。でもエフィングは、そのせいで空しい思いに苛まれるどころか、むしろ解放されたような気になれた。いまや彼は自分のために描いているのだ。もう他人の意見なんかにびくびくする必要はない。これだけでも、絵に対する彼の見方を根底から変えるに十分だった。(中略)芸術の真の目的は美しい事物を作り出すことではない、そう彼は悟った。芸術とは理解するための手立てなのだ。世界に入り込み、そのなかに自分の場を見出す道なのだ。一枚のカンバスにいかなる芸術的特質があろうと、それは、物事の核心に迫るという目的に向かって努力していく上での、ほんの副産物のようなものでしかない。
エフィングが画家を目指したときには当然そうであったように、ほとんどの表現者にとって、創作物は他人の目に触れることを前提に作る。しかし、彼は荒野に取り残され、物理的に自分が絵を描いたとしても誰にも届けられないという、いわば創作者にとって創作の意味が問われる極限状態に陥ってしまう。しかし、そんななかで絵を描いた時間が、「間違いなくわしの人生でいちばん幸福な時期だった」とエフィング老人は回想する。このとき画家は、まるで他人の評価などはなから考えない子供のように、描くことそれ自体の楽しみを思い出したのだろう。同時に彼は、その極限状態のなかで、他者からの評価という要素を文字通り消失し、純粋な描くことそのものの真理にいたる。芸術とは「理解するための手立て」、「世界に入り込み、そのなかに自分の場を見出す道」である、つまりはできた作品が他者から評価されるようなものであるか否かは問題ではなく、世界や自分を理解するための行動そのものが、芸術の本質であると。
多くの人間が他者からの評価を過剰に意識して、あらゆる表現活動を行いがちな現代。現代といっても、本書が執筆されたのもそう古い時代ではないが、SNSなどが発達した今の現代こそ、このくだりは私たちの心に問いかけるものが多いように思う。私自身も、わずかとはいえこうしてブログを書いたり創作をしたりとする人間なので、もし絶対的に誰にも作品が届かない状況であっても創作をするのか、という問いは重要な問いかけとして持っていたいし、そのうえでエフィングのいう「芸術は理解するための手立て」という考えは、少しの希望になりえると思う。現代社会に生きながらも、このような考えで創作(もっといえば、創作以外のことに置き換えてもいい)を行えれば、エフィングのように常に「いちばん幸福な時期」を生きられるのかもしれない。
『ムーン・パレス』を貫く月のモチーフ、そして荒野のモチーフと、アメリカ
「人類がはじめて月を歩いた夏」、つまりアポロ11号が初めて月に到達し、ニール・アームストロン、とバズ・オルドリンが初の月面歩行を行った1969年の夏、主人公のマーコは大学生で、あらすじで紹介したように餓死寸前にまでなってしまう。書き出しに現れるこの月のもチーフは作中繰り返し現れ、主人公にとって大きな意味を持っている。例えば、タイトルにも冠されている「ムーン・パレス」は、マーコがニューヨークの下宿先から見える中華料理屋の名前。主人公が初めてキティ・ウーとあったパーティーで、誰かが言及したアポロ11号月面着陸の話題に応じてマーコが語った、古今の月伝説の物語。空に超然と浮遊する月は、ロマンチストなマーコの性格の象徴として描かれている。
一方で、この小説に頻繁に登場するもチーフはもうひとつある。それは、アメリカ西部の荒野である。エフィングが西部の砂漠に絵を描きに出かけるエピソードは、先に述べたとおりである。また、エフィングがマーコに、『月光』という絵画を美術館に見に行けと命令する場面があるのだが、この絵の中では西部の荒野に浮かぶ月光が、絶妙な自然の調和のもと描かれている。この荒野と月が同時に現れるシーンに多くの紙面が費やされているのは偶然ではなく、この小説の中心的なモチーフであるからだろう。
なぜ、月と西部の荒野なのか。それはおそらく、いずれもがアメリカ社会の歴史と精神性を色濃く象徴するものだからだろう。荒野での西部開拓、そしてアポロ計画に代表される宇宙開発。どちらもアメリカの歴史を語るうえでは外せない。考えてみれば、あの現代のアメリカを舞台にしたピクサー映画の『トイ・ストーリー』でも、主人公の人形たちは西部劇のガンマンと、宇宙飛行士だった。
ポー・ルオースターは、〈ニューヨーク三部作〉、特に『ガラスの街』でも、ヨーロッパからやってきて新大陸を開発したアメリカという国家のルーツ、国家の本質について追及しようとしているのが分かる。本書でも時に、西部開拓でのインディアンとの闘いなど実際の出来事や、荒野での原爆水爆の開発、ベトナム戦争、そしてアポロ11号の月面着陸と、実際のアメリカの象徴的な歴史が随所に挟まれながら、物語が進んでいく。月と荒野からみるアメリカの歴史という連想は面白いが、実際にマーコが、窓からムーン・パレスの見える下宿で、きまぐれな連想を働かせるシーンがある。
ひとつの思いが別の思いへと、ぐるぐる螺旋を描いてつながっていった。結びつきの織り成す網ははてしなく広がっていった。たとえば、未知への旅という見地から見た、コロンブスと宇宙飛行士との平衡関係。中国到達失敗の結果としてのアメリカ発見。(中略)そして僕は思案した。なぜアメリカの西部は、あんなにも月面の風景に似ているのか? そんなふうにして、思いはえんえんと続くのだった。
「なぜアメリカの西部は、あんなにも月面の風景に似ているのか」という問いは面白い。夜空に燦然と輝いて見える月も、行ってみれば西部に似た荒野が広がっている。月のような未知の世界を目指し、そこにあるのが過酷で広大な砂漠であったとしても開拓せずにはいられないという精神性が、アメリカの歴史を貫いてきたものなのだろう。
はじめに引用した書き出しのなかで書かれているように、僕が「ユタからカリフォルニアまでの砂漠」を歩くのは、物語の最終盤のあたりである。偶然によって何かを手にし失っていく(そしてやや自分勝手ともいえる理由から恋人とすれ違いを起こす)主人公が、ビルドゥングスロマンとしてみて本当に成熟しているかは読者によって感じるところは違うだろうが、ともかく、たどり着かない月という夢想の世界だけで生きていた主人公が、最後現実の荒野を歩いていくラストは内面の成長を感じ取れるシーンは内面の成長を予感させるシーンではないだろうか。マーコが歩いた、「ユタからカリフォルニアまでの砂漠」は当然、西部開拓者たちがたどった道のりをなぞる。荒野、そして月の開拓というアメリカの精神史を伏流として紡がれてきた、一人の若者の物語が、西部開拓の終焉(つまりは西岸への到達)と呼応するかたちでラストを迎えるのは、なにかひとつの通過儀礼が達成されたような、なんとも印象的なラストではないだろうか。規模の大きい背景を持ちながら、どこか懐かしくセンチメンタルな青春小説の名作、『ムーン・パレス』の読書体験は忘れないだろう。

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