泡坂妻夫のデビュー作である、「DL2号機事件」をはじめとする、青年カメラマン亜愛一郎が活躍する八篇の短編が収められた連作短編集。<亜愛一郎シリーズ>三部作のうちの、第一短編集にあたる。
「DL2号機事件」は、一年前に地震で壊滅的な被害を受けた宮前市の空港に、離陸前に偽の爆破予告を受けた旅客機DL2号機が着陸してくるところから始まる。その宮前市にちょうど地震の後に住み始めた富豪の柴が、DL2号機から降りったあと、彼の家で奇妙な事件が発生する。その場に居合わせた刑事が何もわからず動揺するなか、同じくたまたま居合わせた亜愛一郎が意外な解決を示す。
この話で魅力的ななのは、まずは何といっても亜愛一郎のユニークなキャラクターと、軽快な文章だ。亜愛一郎は雲や虫、化石などの奇妙な被写体ばかり撮影しているカメラマンで、背が高く端正な顔立ちだが、運動神経がまるで駄目で、見る人にすぐにダメな男だと判断されてしまうという男である。第六話では「大げさにいうと、人間になってしまったことに、おろおろしている感じ」と表現されているような青年だが、彼は行く先々で出会う事件を優れた直観で解決していしまう。よく、ブラウン神父1と同列に語られてることが多いが、亜愛一郎もそういった、一見とぼけた切れ者探偵なのだ。そして、この亜愛一郎のキャラクターが愛らしくて、会話が面白い。ユーモアのある会話で軽妙に進んでいくのが、この短編集の特徴である。
そして、本作の作品はどれもそうだが、解決に導くロジックの展開が面白い。特にこのDL2号機事件で亜愛一郎が指摘する、犯人の行動原理を支配している理屈は、気づいたときにハッとなるような面白さがある。一つの逆説が見破られることで、謎だった状況が一変してすっきりとした見方におさまってしまうさまは、チェスタトンの種々の名作短編に通じる面白さがあった。
続いて第二話の「右腕山上空」は、宣伝用に飛ばした気球に乗り込んだ芸人が殺されてしまうというお話。特にユーモラスな雰囲気の作品で、気球という道具立てが楽しいが、2作目にして「空中密室」という挑戦的ともいえる設定で書かれているのが注目。
三作目「曲がった部屋」は、個人的にトリックとロジックに感動した作品。小網氏の友人、杉亭は「おばけ団地」に住んでいるという。丘のうえに立っているその団地は、予定されていた道路開発の計画がとん挫して孤立していしまい、おまけに建物は傾き始めるわ、シデムシが大量発生するわ、火葬場の煙が入りこんでくるわと、なんともいい難い不運な団地だという。杉亭に招かれて、小網氏に、亜愛一郎、雑誌記者の男がお化け団地の一室に向かい――。不気味な団地という、おどろおどろしい舞台設定と、それなのにどこか面白がっている登場人物たちの軽妙な会話、そして鮮烈なイメージを残す事件解決のトリックが合わさった名作。
気球にお化け団地と、心くすぐられる舞台設定の作品が続くが、第四話「掌上の黄金仮面」でも、高さ約三十メートルの巨大な弥勒菩薩像2の掌の上から男が転落するという、これまたへんてこな舞台で事件が起こる。シュールで幻想的ともいえる世界観の作品で、奇術師でもある作者の趣味が垣間見える。
第五話「G線上の鼬」。二、三か月前から、都内では質の悪いタクシー強盗が続いていた。タクシードライバーの浜岡は、雪の降る深夜に車を走らせていると、先ほど行きつけの店であったばかりの同僚、金潟がタクシー強盗に襲われて路上に逃げ出してきたのに遭遇する。浜岡と、金潟、それから初めから乗客として乗っていた亜が警察ともに強盗の現場に向かうと、残されていた金潟の車から、彼を襲ったはずの強盗が死体になっているのが見つかった。しかも、雪が積もった車の周りには、逃げてきた金潟のものと思われる一筋の足跡しか残されていなかった。果たして彼が犯人なのか。
と、冬の夜の東京郊外で発生した奇妙な事件をめぐるお話。亜愛一郎が真相を導くために使った、ある人間心理に対する洞察が興味深い話であった。泡坂妻夫は奇術師としての一面ももつ作家であるためだろう、人の考えかたの癖、思考のパターンをうまく使った話が多いのが特徴という気がする。本作は特に奇術師らしいロジックで書かれた話という感じがして、面白かった。
第六話「掘出された童話」は、ひらがなとカタカナだけで書かれた不自然な文章の作中作から始まるという、やや異色な作品。この冒頭の文章は「もりのさる おまつり の」という題名の童話であり、池本銃吉という実業家の老人が自費出版した作品である。この作品に挿絵を描いた一荷は、出版社に来ていた亜愛一郎がこの童話に興味をひかれていることを知る。一荷は亜につきまとい、彼からこの童話は暗号になっていることに気づいたことを聞き出し、暗号が示す宝を二人で探し出そうとする――というのがあらすじ。そう、つまりこの作品はいわゆる暗号ものである。私は暗号ミステリ好きなので、暗号を真正面から扱った作品というだけで歓喜してしまった。地味で難解になりがちな暗号ものでは、「ああそういうことだったのか!」と読者をはっとさせる一撃を、それも目新しいネタでするのは難しいと思うのだが、本作ではそれに成功している。一度読んだら忘れられない、意外性のある解決(解読)方法がつきだされる。日本の暗号小説で傑作選が組まれるならば、絶対に外せないような一作だった。また、ここに泡坂妻夫の、文字や文章じたいに仕掛けをしかけるというひとつの方向性(『しあわせの書』などにつながる)の端緒がみえたようで面白かった。
また、物語としては、暗号を解読した亜愛一郎に抜け駆けはゆるさんとばかりに付きまとう一荷と、付きまとわれる亜のバタバタ劇が楽しかった。
第七話「ホロボの神」。南洋へ太平洋戦争中の戦友の遺骨収集に向かう、元軍人の中神は、船の上で偶然知り合った亜愛一郎に戦時中の出来事について語る。彼は乗っていた輸送船が襲撃され、生き残った隊員たちとともにホロボ島という島に流れ着いた。ホロボ島で生活しながら、原住民としだいに交流していくなかで、ある悲劇的な出来事が起きた。妻を失った酋長がが、妻の死体がおかれた祠堂に引きこもり、中神らの軍隊から盗んだ拳銃で自殺をしてしまったという。しかし、それを聞いた亜愛一郎は、未開の部族は死者を恐れるものであり、酋長が妻の死体のもとに引きこもるのはおかしいと疑問をもつ。では、酋長の死の真相はなんだったのか。未開の部族と、文明国の軍体。まったく異なる文化が接したときに何が起きるか、という考察をもとにしたトリックが冴える一作。
最後の収録作、第七話は「黒い霧」という作品。商店街でカーボンの粉が入った袋が破裂し、商店街中が真っ黒になってしまう。以前にも同じ被害を受けて、怒っていた商店街の面々は喧嘩を始め、豆腐屋とケーキ屋が真っ黒になった商品を投げ追う、というバタバタ喜劇みたいなお話。しかし、そこに巻き込まれた亜愛一郎は、カーボン破裂事件の裏に隠された真相を言い当てる、ロジックの冴えた話だった。
青年カメラマン、亜愛一郎が活躍するシリーズの第一弾『亜愛一郎の狼狽』は、バリエーション豊かな設定のなか、思わず読者をうならせるトリックやロジック、それから愉快なキャラクターたちが織り成すユーモアが魅力の、名短編集でした。シリーズに二作目の『亜愛一郎の転倒』も楽しみ!
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